2009年02月28日

くすりと元気

やはり花粉症がひどい。

それはいまさらよいのだが、花粉症の薬って、効く日と効かない日があるの、あれはなんでなんだろう?飛んでいる花粉の量は関係ない気がする。晴れている日に薬が効いているとなんでもないし、雨の日でもひどい症状が出ることもある。効いていてもなんかだるくて何にもやる気がせず、結局なにもしないときもある。
あれ?じゃ、なんで薬飲んでるんだろう。。。

そういえば。10年近く前、栄養ドリンクで同じようなことがあった。ものすごーく忙しい日々が続き、かなり疲れていたんだけれど、その日もハードになる予定であった。素直に休養すればよかったのに疲労によって冷静な判断力を失っていたのか、なぜか「よし、ここは」となんか変な気合いを入れてしまい、薬局で栄養ドリンクを買った。なにせ変な気合いが入っているので、1本600円くらいする高いものを買ってしまった。「もう、250円じゃ効かない気がする」と思うくらいに疲れていたのかもしれない。

飲んでみると、
「さすが600円」
行く末も定まらぬままに、根拠のない元気がもりもり湧いてくる。俗に言う「カラ元気」である。その日一日かなりハイテンションで過ごしたが、その翌日がすごかった。いまだかつて経験したことのないものすごい虚脱感。なんていうの?もう、生きる気力がわいてこない。トラウマになるくらいの虚脱感。

以来、高い栄養ドリンクは飲まないことにしている。連日服用も避けている。

いや、もちろん花粉症の薬でそんな虚脱感がもたらされたりはしないけど。自分の体の状態を薬で意図的に管理するって、それなりにダメージがあるよね。(もちろん栄養ドリンクはくすりではないのだけど)
posted by 食べかけチーズ at 06:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2009年02月21日

『細雪』

はじめて『細雪』を読んだのは、大学4年生の晩秋である。一度読み始めたらとまらない。特に何が起こる物語というわけでもないのだが。。。。というよりむしろ、びっくりするくらいにほとんど何のできごとも起こらないのだが。そういう意味で、あまり他に似たものを思いつかない作品である。

とにかくおもしろかった。しかし、読んでいる時期が時期である。卒論を書かなくてはならない。一時たりとも無駄にしたくない時期だ。というか、無駄にできない時期だ。一冊でも多くの文献を、一本でも多くの論文を読まなくては。。。いやいや、小説とか読んでる場合じゃないのよ。そんな時期に読み始めてしまった。

ああ。こんなことしてる場合じゃないのに。

そんな背徳的な思いも加わったせいか、とにかく面白かった。

そういえば、アウグスティヌス研究の世界的権威、故山田晶先生は、いつも谷崎作品を読んでから翻訳の作業を始めていたらしい。中世のキリスト教の思想を訳す作業である。なんで谷崎・・・?もっと気になるのは谷崎作品の何を読んだのかという点である。
どうか『』とか『痴人の愛』とかじゃありませんように。。。

細雪』もまた私の心に根強い疑問をのこした。谷崎潤一郎は東京出身でありながら、なんとこの作品は全編大阪弁で綴られている。大阪の人がどう思うかよくわからないが、とにかく言葉が美しい。そんななかで。相槌のうちかたがいま一つわからない。すべてあいづちが「ふんふん」と表記されている。これ、どんな音で、どう読むんだろう?
「おお、それは興味深い。ふむふむ」みたいな感じの「ふん」なのかそれとも「へえー。ふーん。ま、どうでもいいけどさ。」みたいな感じの「ふん」なのか。

大阪は岸和田出身のHさんに聞いてみた。「いやそれ、「うん」ていうふつうの相槌を「ふん」て表記しただけなんじゃない?」
あ。そう。。。。
いや、そうかな?
そんなことないんじゃない?
いや、そんなことないはず。
なんかもっと、想像だにできなかったような
「ふん」
かもしれないじゃん。
ていうかそうであってほしい。

関東甲信越をでて暮した事のない私である。興味はあるものの、方言にかなり疎い。知識のなさ、無知は幻想を呼ぶ。
「何とも美しく『ふん』という相槌をうつような方言があるのではなかろうか」
そんな淡い幻想が心に芽生える。
しかも『細雪』は上流階級の女性たちを描いた作品である。
「なんか庶民には知られていない、こういう言語コミュニティーがあるのかも」

以来、近畿出身の人と知り合うたびに、『細雪』のこの「ふん」の疑問をぶつけてみる。しかし「ああ、それね」と反応してくれる人はいない。

「やはり、「うん」の一表記なのであろうか・・・」そう思いかけていたあるとき。静岡かどこかのホテルのロビーでのことである。
お姑さんとお嫁さんであろうと思しき二人の女性の会話が耳に入った。なにせ疎い私の耳には「西日本の言葉かな」くらいにしかわからない。「・・・してはるでしょ?」「そやな」「それが・・・・だわあ」「ふん」

あ!
いま、言った。「ふん」って言った!
「うん」とはちがう、はっきりと「ふ」の音である。「ふーん」とも「ふむふむ」とも違って、突き放したりのめりこんだりする感じはない。何とも品がよく、美しい(気がする)。谷崎が描き出した「ふん」はこの「ふん」ではなかろうか。そう思わせるような、そしてそう思いたくなるような「ふん」である。

「どうしたらいいかな。」と思っている間に彼女らは去って行った。そして私の心には新たな謎が残されたのである。
あれは、あの人個人の口癖のようなものだったのだろうか。
彼女らはどこの出身のどんな人たちであったのか。
谷崎が描いた「ふん」は私が聞いたあの「ふん」であったのだろうか。
なんか、文字表記って限界があるけど、それが楽しいよね・・・。
ね?
posted by 食べかけチーズ at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2009年02月18日

酩酊会見

中川昭一氏の酩酊会見のニュースを見た。多くの人が見ただろうから、今さら説明も必要ないだろう。

世界経済が大変なことになっているなかで、G7の終了後の会見である。ろれつが回らず、目が据わっている。挙動がすごいとんちんかん。あれ?気のせいか、口の位置も普段より2pくらい下がってない?

本人は「風邪薬を定量の倍近く飲んで」「酒をたしなんだから」。とこの状態を説明している。いや、何の言い訳にもなってないよね、これ・・・。自分の為すべきことを理解してる人の行動じゃないでしょう。。。ものすごい数の人が職をなくしてるって、わかってる?

風邪薬と酒は一緒に飲んじゃいけないなんて、実際に酒を飲めるようになる年齢に達する前から教わることだろう。ましてや、風邪薬の飲みすぎとか。それ、どこの中学生?

これ、アルコール依存症じゃないの?大事な仕事の前に飲んでしまう。薬を服用したのに(本当はいけないとわかっているのに)飲んでしまう。これはアルコール依存症の典型例でしょう。

彼の行動は非難に値するが、ここで私は「アルコール依存症」という言葉を非難の意味で使っているわけではない。これは、病気なのである。

統合失調症などのいくつかの病気を除くと、ほとんどの医療的治療は、まず第一に当人の病識を要する。つまり、病気の自覚が要される。しかし、「病気の自覚」はつらい。

誰だって「強い」自分、「苦しんでいない」自分を人に見せたい。あるいは自分は「強く」て「できる人」なのだと思いたい。だから病気を公表することには、勇気が要される。自分の抱えた「弱さ」に自分で直面しなくてはいけない上に、その「弱さ」を公に露呈しなくてはならないのだから。

とくにアルコール依存症や拒食症などは、病の隠ぺいが病をさらに悪化させるという、厄介な負の循環を伴っている。自分の病を認めることができない、あるいは人に伝えることができない、このために余計な苦しみ負ってしまっている人の数は、実際に治療を受けている人の数をはるかに上回る。言うまでもないが。

病気とは、恥ずかしいものではない。その一方で、病気であることに向き合わずに醜態をさらし続けることはものすごい恥ずかしい。

ほんとうに社会のために自分を捧げようという人は、つまり本当の政治家だったら、自分の病気を公にするのではないだろうか。病気と向き合うこと、治療に立ち向かっていくことは、個々人が社会生活に参加するにあたって欠くべからざるべきものなのだと主張してもいいのではないだろうか。
それこそ、社会のためになると思うのだが。。。
posted by 食べかけチーズ at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記